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Update '00/02/06
●"取りあえずミュージック"の先へ…
(音楽としての魅力)
街を歩いていて素敵な女性とすれ違えば、目をとめたり振り返ることって多いでしょ(私の場合はよほど忙しい時を除いてほとんどですが(笑))。そこまでなら罪にはならないんだろうとも思ったりして…。
服装や化粧に始まってスタイル・ふるまい・雰囲気など、いずれにせよこの時点では外面的な情報が中心になるわけだけど、彼女たちはそれぞれにいろんな魅力を振りまいて通り過ぎて行ってくれますよね。それも同じような要素による魅力でも、ベース(土台)がちがえば(ひょっとして失礼な表現してるかな?)別の魅力になっていたりして素敵です。最近では女性に限ったことではないみたいだけど。
きょうのテーマからすると上記と相対する位置にあるのが、話をしたり一緒に作業をしていてその魅力を発揮してくれる人たちです。どちらかと云うと内面的な要素でね。それこそ女性に限定した魅力ではなくなってくるわけですが…。
さて本題に入ると、曲を作って/演奏して/そのメッセージに魅力的な説得力を加えたいと思う時(思わない人にはきょうのテーマは要りませんよ)、これから触れるいくつかのこともちょっと考えてみてくださいね。
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Poul Pacotto "1991" |
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● 自分の魅力(とくに音楽上の)ってなんだろか?
たとえば上記の女性の魅力に置き換えてみたら、あなたのそれはどんなところ? 誰にだって必ずあるはずのことなんだけれど、ある程度は自分で認識できてる?「自分の魅力なんて自分では…」とおっしゃる謙虚なかたは、どうぞ第三者の評価をいっぱい耳にして、自分の魅力の断片でも把握しておくことをお奨めします。多くの音楽ファンの評価ってこの外面的な部分が圧倒的に多いんだけれど、自分を、もしくは自分の作品を見直してみたい時に、とっても大切なポイントになってくれますよ。
そしてこの外見部分って、いわゆる"おしゃれ"と一緒で楽しくて上達も早いところです。一例を上げてみると「ギターのパっセージがかっこいい」「ドラムやリズムセクションが大得意」「ビートが効いててしびれる」とか、クラシック系なら「ピアニスティックな伴奏が書ける」「オブリのからみがうまい」「ハーモニーがきれい」等々…。
たまに出会う達者なメロ書きさんは、その次元である程度の表現ができてしまうためかその才に溺れて(笑)、なかなか他の手段に気がまわらないことが多いみたいです。さらに趣味の問題を棚に上げて蛇足すると、音の色(和音の選択や結びつき)についての私のお手本は、いまだにシューベルトです。自分と云う土台の中でそれをどう生かすのかは、自分の責任で消化させて行くわけですが。
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責任と言えば、
● 曲中に採用した諸材料に意味や関連を持たせることができていますか?
もちろん「つながりがない」ことを魅力に転化させてしまうこともできるわけだけれど、曲中の材料の多くがそうであれば、結果「まとまりがない」ということになってしまいます。その曲の制作において、最大権力者であると同時に最大の責任をも負うのが作曲者(つまりあなた)なんです。
● 最初から最後までうんうん唸って苦労してませんか?
絵でも写真でも、あれもこれもと盛り込まれている作品は「どこを見たら良いのか」「何を言いたいのか」判らなくなってしまうでしょ。もし魅力を感じる材料を生み出したり見つけたりしたら、その魅力を何倍にも拡げる工夫に力を注いでください。「あんな魅力」「こんな魅力」が散在している作品ではなくって、作品のどこかに置いた魅力の断片から始まってだんだんと凝集させて行ったり、逆に冒頭に提示した魅力がどんどん変形したり崩れて行ったり…とかね。インストものはもちろん、歌詞があっても問題なく進められる作業ですから。
散漫ながらもどうにか曲としてまとめられてる作品はけっこう多くなって来てるように思います。こんどは是非、その純度を高める作業にも時間を割いてみてくださいね。もしあなたが乱れた長髪をかきむしりながら、感覚的な作業に時間を浪費してしまっている作曲家だったら(感覚的な作業も一部では重要なんですよ)、この作業は新しい世界をいくつも増やしてくれることと思います。そしてメッセージとしてもよりはっきりして、説得力が生まれて来ることと思いますよ、きっと。
b y と し
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今回の Photo は当工房の超美人、Poul Pacotto の"1991"です。上は昼間の彼女、下が夜の彼女です。どうです?魅力的でしょう…。 |
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